2012年5月30日水曜日

野草の季節

今回は、旬のおいしい野草の報告。

ひとつめはカラスノエンドウ(マメ科)。
土手や道ばたで、この時期よく見られる植物。カラスノエンドウは熟すと真っ黒になることから、「カラスの」という名前がつけられている。

今回、小学生の娘が「お母さん好きだろうと思って」と学校から借りてきた絵本に、カラスノエンドウの豆の食べ方が載っていて、試してみた。
(ちなみに以前、新芽を食べると聞いて試してみたけど、筋っぽくてあまりよくなかった。)

カラスノエンドウの豆は5mmくらいの小さな豆!
けっこう夢中になって取り出すこどもたち・・・



集まった豆はこんなかんじ。
若いさやも摘んでみた。
熱湯に塩を入れて2、3分ゆでる。

友人がサラダにしたててくれた。
豆はとてもかわいいアクセントになっていて、ちゃんと豆の味。



第2弾はニセアカシアの花。
これはわりと皆さん食されるみたい。

 集めた花。こんなに食べられるのかしら・・・
と思ったんだけど、軽くて少し甘くて食べやすく、おいしかった。
家族にも好評。お試しあれ。

2012年4月10日火曜日

シャガールとロシアの田舎


3月下旬に松本市美術館のシャガール展を見に行った。
シャガールと言えば、恋人たちが空を舞っているような幻想的なイメージの絵だけれど、特に好きだったという訳ではない。なんとなく観てみようと。

まず驚いたのは、彼がロシア(のちにベラルーシとなる)の田舎の出身であったということ。彼の家は特に金銭的に豊かであった訳ではなく、絵の道に進むためには多くの困難があったようだ。田舎の閉鎖的に思える暮らしに、彼は決してよい感情を持っていなかったらしい。どんなパリにあこがれて羽ばたていったことか。

彼が若い時に描いたロシアの故郷や家族の絵があった。色彩は少し暗く、彼の有名な絵の数々のイメージとは全く異なる。そこにはロシア独特のあたたかさが映し出されているように感じて、私はとても惹かれた。

ロシアの田舎について、私が知っているのはいくつかの民話と「アレクセイの泉」という映画くらいだ。映画の舞台はベラルーシ、チェルノブイリ原発の大事故による深刻な汚染地域で、強制移住により地図から消された村である。しかし実際、そこには56人のお年寄りとアレクセイという若者だけが残っていて、畑を耕し、森からきのこをとったり、木を切り出したりしながら、ほぼ自給自足で暮らしている。映画では、その日々の暮らしや村のちょっとしたできごと、人々のやりとりが淡々と綴られている。

ロシアはあんなに遠いところで文化もずいぶん違うような気がしていたのに、その田舎の暮らしや人々のやりとりは日本の田舎とどこか似ていて本当にあたたかくて、心にしみた。人が生きることや、ふるさとということについて、これまでの価値観とは違う光をもらった気がした。

映画は、人々が望むなら深刻な汚染地域で暮らしてもいいのではないか、というメッセージではなかったと思う。アレクセイ以外の若者も子どももいない、そして近い将来には本当にだれもいなくなるかもしれない村である。理想の村には決してなり得ないだろう。だからこそなんというか、「人がふるさとで暮らすこと」の意味を改めて問うている、私はそんなふうに受け取った。

・・・今の福島の方々の思いはどれほどであろうか。私が想像すらできないほど深いということ、今の私にわかるのはそれがやっとだろう。その上で私たち、ひとりひとりにできることがあり、役割があり、生きる希望があるはずだと思っている。


2012年3月5日月曜日

希望の試み

震災から1年が経とうとしている。
ここのところ、

*自分たちで考えて、自分たちで立ち上がる試み
*分断された人と人とをつないでいく試み

があちこちで広がっているのを関心をもって見ている。

特に原発によって引き起こされている情報の混乱、行政レベルや個人レベルでの判断の混迷、引き裂かれた地域や人間関係・・・こうした複雑に絡み合った問題をなんとか乗り越えていこうとする動きが生まれているように思う。

こうした課題は放射性物質を抱えている地域だけの話しではない。
現実に起こった危機によって、問題が表に出ただけのこと。そこには、日本が私たちが抱えている本質的な課題がある。
コミュニティが大きくなればなるほど、私たちは関わらなくなり、行政にお任せになっている。専門化が進めば進むほど、専門家にお任せになっている。そして危機が起こった時にどうしたらいいかわからないか、文句ばかりになっていないか。

福島から避難してきた人たちがひどい差別を受けるとか、放射能汚染が低い地域でもがれきの処理が一向に進まないとか、専門家の意見が対立していてなにが正しいか判断できないとか、現実には多くの壁が立ちはだかっている。だから橋本知事のようにガンガン白黒をつけてくれる人に丸投げしてしまう人もたくさんいる。

でもそういうお任せが原発の事故の背景にあったんじゃないのか?ひとりひとりが考えて、話し合って判断して、進んでいくしかないんじゃないかと、改めて気づいている人は多いように思う。

そんな中で、私は「対話」ともいうべき場をつくっていく取り組みに注目している。

自分たちの問題として考えよう。あたたかい人と人との関係を取り戻そう。愛する故郷をつくっていこう。そんなに簡単にできることではないことを大前提として、でもそこを目指していこうと。

自分の足元を振り返ると、私が今関わっている地域コーディネーターという仕事も、まさにそういった方向を目指す試みなのだと思う。目玉商品をつくって地域おこしをすることが目的ではなく。

今日は「啓蟄(けいちつ)」大地が温まり冬眠をしていた虫が穴から出てくるころ。春の冷たい雨が続いている。
下の写真はオニグルミの冬芽。春をまっているみたいな顔してるなあ。



2012年1月21日土曜日

旧暦と暮らす


今日は大寒(だいかん)。
松本はこの冬はじめてのまとまった雪が降り、雪景色となっている。

今日は旧暦ならまだ12月28日。師走のまさに忙しいときだろうな。
そうして迎えるお正月は、だいたい立春の頃となる(今年は1月23日が旧正月で、ちょっとズレが大きいようだ)。「迎春」「初春」のことばがふさわしいお正月。

旧暦のことを多少知ってから、季節の行事が実際の季節とずれている理由がようやく腑に落ちた。1960年代くらいまでの農漁村では、旧暦を使っていたところが多かったとのこと。自然に沿った暦があり、そこに農林業と暮らしが一体となって営まれていた。

今の生活で旧暦をそのまま使うことはできないが、私は旧暦を載せた「二十四節気・七十二候 歳時記カレンダー」というカレンダーを好きで使っている。

二十四節気とは、昼夜の長さが等しくなる春分を基準に1年を24節気に分けたもの。「大寒」「春分」「夏至」など今の生活になじみのあるものも含まれ、気象や気温、昼夜の長短の区分を表すものが多い。

七十二候というのは二十四節気をさらに3等分したもの。2月なら「東風解凍(とうふうこおりをとく)」、「土脉潤起(どみゃくうるおいおこる)」、「草木萌動(そうもくきざしうごく)」などというように、実に細やかな自然の変化をよくとらえている。寒さは最も厳しいけれど、そうか、風や土には春の兆しがあるのだと、なんだかうれしくもなってくる。ここは長野県なので、それにはちょっと早いかな、ということはあるけれども。

二十四節気が古代中国のものをそのまま使っていることに対して、七十二候のほうは、日本の気候風土に合うように改訂されているそうだ。

桃の節句や七夕といった季節の行事も、旧暦ならまったくふさわしい時期であることが実感できる。


さて、このカレンダーにはこの他に、月の満ち欠けや俳句、季節のイラストなどもあって、大変にぎやか。今年も旧暦を楽しみながら1年を過ごしたい。

2011年11月13日日曜日

今年は紅葉がきれいじゃないって?

今年は紅葉がきれいじゃない、という話しをよく聞く。
保福寺に行ってみて、たしかに周辺の枯れた葉をつけた樹木が多い、それがほとんどケヤキということに気がついた。ケヤキは大きな木が多いので、あっちこっちで茶色の姿がよく目立っている。

11/7の信濃毎日新聞にちょうどケヤキのことが載っていた→「ケヤキ彩り 県内異変・・・昆虫食害 紅葉前の落葉目立つ」
長野県内で、ケヤキの葉を食べる昆虫「ヤノヤミガタチビタマムシ」が大発生しているとのこと。

過去の報告を調べてみると、過去(1897〜1991年頃)には景勝地の嵐山でも話題になったようだが、5年ほどで終息したとのこと。山梨県のケヤキ林では、毎年夏に葉が落ちてしまう状況が続いているとの報告もあった。あまり早くから葉を落とすようなら、その分光合成ができなくなるわけだから、樹勢にも影響が出てくるだろう。

しかしそれほど深刻な例は多くはなく、この昆虫は夏以降に発生して、ケヤキの葉を食べるだけなので、樹勢にはあまり影響ないらしい。

そうなると、困っているのは「景観」だけということになる。

保福寺まわりの紅葉。葉が茶色く枯れているのはいずれもケヤキ。



こちらは松本中央図書館のまわりのケヤキ。
街中は街中で、こういったところに、ケヤキの大きな木があちこちに植えてあるものだから、やはり枯れが大きく目立ってしまうようだ。



誘引剤による昆虫のトラップなどの防除法法も研究されているが、美しい紅葉を楽しむために、安易に「防除」という発想はどうかと思う。必要な場合もあるかもしれない、しかし農産物の被害ならともかく、多少の景観が損なわれるような程度の話しなら、ごく当たり前の自然の幅だと受け止めたい。

一方で、マツ枯れやナラ枯れなど、人間と山の関係が変化したことが要因となって、昆虫が大発生して、樹木の枯死が広がっている。このことについては、単に自然の幅だという話しではないので、いろんなことを考えさせられる。それはまたの機会に。

小春日和には気をつけて

あまりにも暖かい日が続いたために、季節外れのツツジの花の写真を。

東京では桜が満開になったりもしているらしく、地球温暖化の影響だと言っている人もいた。たしかに、こういう現象は不気味な感じがしないでもない。

しかし「狂い咲き」という言葉があるように、昔から小春日和の頃、春だと勘違いして花が咲く現象はあった。過去には今年よりも暖かい秋が何度もあったはずだ。

今年だけの現象だけでは地球温暖化の影響かどうかは、本当は判断できないのだ。いくつものデータを積み重ねて、偶然とは言えない現象が見えてくるのであり、それを考えていかなければならない。



実はそうした植物の開花や紅葉を指標にした「生物季節観測」は、全国で1953年(!)からデータが蓄積されている。気象観測と一緒に、ソメイヨシノの開花日、イロハカエデやイチョウの紅葉日などが記録されてきた。それによると、長野県内の観測でも、ソメイヨシノの開花日が数日早くなり、同様にイロハカエデの紅葉が数日遅くなる傾向があるようだ。

しかし気温もそうだが、実に、この50年で6日早くなった、とかそういうオーダーの話しなのである。毎年変化を繰り返しながらデータを積み重ねて、ようやく有意(確率的に偶然ではないと判断される)と言える傾向が見えてくる。

地球温暖化かどうかはともかくとしても、生活者としては寒暖の差が激しいのはなかなかタイヘン。急に寒くなったときに風邪引かないようにしたいですね。


参考資料:長野県における地球温暖化現象の実態 に関する調査研究報告書

2011年11月7日月曜日

保福寺峠

かつては松本から上田を経て江戸へ至る幹線道であった、旧四賀村の保福寺峠。

保福寺は平安時代にさかのぼるお寺らしい。



保福寺の先に続く保福寺峠は、だれもいないひそかな峠道。
ウルシ科のヌルデの紅葉。
向こうの山からニホンジカの鳴き声が聞こえてきます。
・・・奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋はかなしき・・・
の世界でした。